岸田文雄の台詞についての意見

〜において絶対に許すことはできないと彼は言い放った。

 

許さないという言葉にどれほどの意味が込められているかは置いておいて、許されないからと言ってその行動が制限されるかは人によるだろう。

例えば、殺人等も許されてはいないが出来なくはないから毎日のようにニュースで報じられている。

となれば許さないぞ!という言葉にどれだけの意味があるだろうか?

私はそれほど意味がないと思っている、それはどうしてかについて説明してみる。

 

まず、常識人や社会人といった自分も他人も大事にする人たちにとって法律とは守るべきもので自分を守るものであるから破る対象にないことは明白であり、犯す人間はだいたい無職であったり常識の範囲から外れる人であることは明確にわかると思う。

となれば、許さないぞ!といっても意味がないのである。

 

つまり、岸田文雄が攻撃されて許さないぞといっても彼は常識人でも社会人でもない人間からの攻撃は受けて当たり前な状態で生きていることになり、彼の職業はそういった人たちに大打撃を与える増税を行ってしまい、ニュースでは仕切りに批判を行っているので敵になりやすいのだ。

 

旧総理大臣の安倍晋三は殺されてしまいましたが、当然の結果だと僕は思っている、だって殺されるようなことをしていたからだ。

これについての批判はあるだろうが、殺した本人からすれば当たり前なのだから仕方ない。

 

今日の日本ではどうすれば殺されずに生きれるかは、いかに他人と会わずに目立たないかであり、その逆をしている人は毎日他人に殺される脅威を抱えて生きていることになるし、生きていくことになる。

 

社会は魚でいうところの水質のようなもので濁ればそれなりの悪い環境になり変な貝や苔がはあるであろう、それは当たり前であり何もおかしなことではない。

許さないと責任はセットであり、責任を取る頃には老人になり他人のことなど考えることもできないほどに老化している奴らに何をどう責任を取らせることができようか?

つまりは、政治とは最も無責任な職業の一つでありどう頑張ってもその人の資質や性格に依存するものであるから仕方がない。

 

政治家とは全てが悪であり、国民とはその悪の一つを担うものである。

自分の身は自分で守ろう。